LIVE & 喫茶 照和
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照和の歴史
1970年(昭和45年)11月21日、博多の中心地ここ天神に喫茶店「照和」が産声を上げた。
当時学生運動などで騒然とした時代、「 世の中を明るく照らす 」というオーナーの熱い思いからこの照和の歴史は始まった。教育者でもあるオーナーは、長浜公園や舞鶴公園で毎日のように歌っていた若者達を「音楽によって更正させたい 」と、「 照和 」に呼び寄せた。

それからというもの、「 天神の喫茶店で生演奏を始めた! 」という噂は、あっという間に博多の街に広がり「照和で歌いたい! 」と、やってくる無名のうた歌いが後を絶たなかった。
その後、チューリップ甲斐バンド、地元福岡県出身の井上陽水武田鉄矢、鹿児島出身の長淵剛などのスターが次々に誕生し、日本中に「照和」の名が知られるようになった。

今でも若い歌い手さんが当時のスターに憧れて各地から訪れてきます。
照和の由来
照和の由来 「昭和の世の中を明るく照らしたい」。オーナーの願いで名付けられた照和は、70年安保で反戦フォークが流行り、騒然とした時代に生まれた。ノーギャラ、ノーノルマ。若者達は政治とは無関係に、揺さぶられる魂の叫びを五線譜にのせて歌った。

オーナーの注文は「火事に注意」だけ。開店当時、一、二階が喫茶店で、客の入りを気にせず新曲を試した。だが、下手だと客は帰った。スタジオで曲作りの大半を終える今と違い、ライブで鍛えた。曲を互いに率直に批判し合うのが習わしだった。「その詞は妥協したな」。甲斐バンドのリーダー、甲斐よしひろの辛らつな批判は語り草だ。1978年に一時閉鎖したが1991年4月に照和は復活した。
聖地への回帰
黒のジャンパー姿で長渕剛が、何の前触れもなく、ふらりと照和を訪れたのは1995年11月、福岡公演の合間だった、初心に帰り、突然の来店。母校の九産大から、当時の下宿を回り、最後に立ち寄ったのが、原点であり、自身の「聖地」照和だった。
室内を懐かしそうにゆっくり見渡し「変わってないなあ」と呟くと、地下二階のギターケースがならぶ控室へ駆け下りた。「昔はここであんぱん食って飢えをしのいだ。ステージに立っても客は見向きもしないし、拍手なんてなかったなあ」。二十年前の息づかいが五感に蘇り、じっと目をつぶった。
デビュー前、照和で歌っている二十歳のころ、「新宮霊園」のCMソングを一回切りの吹き込み、ギャラ一万円で請け負ったエピソードも懐かしい。
聖地への回帰
『伝説』的な猛特訓
『伝説』的な猛特訓 財津和夫率いるチューリップは、「照和」閉店後の午後十一時から翌朝まで「伝説的な」猛特訓を連日こなして「魔法の黄色い靴」のデモテープを作り、メジャーデビュー。
板付飛行場の米軍施設に流れるFEN(米軍極東放送)の音楽を聴いて育った彼らは「心の旅」「サボテンの花」などの名曲を世に送り、「日本のビートルズ」との異名を持つまでに。

2002年7月、チューリップは照和で三十年ぶりのライブを行った。財津はデビュー前、「月へでも行けるんじゃないか」と思うぐらい、やれば何でもできるとのハングリー精神にあふれ、東京で絶対成功してやる、とそればかり考えていた」と回想する。チューリップのライバル、武田鉄矢らの海援隊もこれに刺激され、デビューしたのも象徴的な話だ。
『青春のたまり場』が映画化に
1970年頃の「照和」はお嬢さん系のファンでびっしり埋まるチューリップのライブと“いも姉ちゃん”系のファンが駆けつける武田鉄矢率いる海援隊のトークライブが競合していた。俳優として活躍中の武田鉄矢は「ひとは皆、青春のたまり場を持っている。私にとってそれは照和だった」と回想。そして「照和を舞台にしたドラマを作りたい」と周囲にもらしたことがある。

その照和をモデルにした青春映画「ラストソング」が1994年に公開された。「まだ、アナログのレコードに針が落ちていた頃、青春も音楽、あの塩化ビニールのドーナツ盤のように傷つきやすかったころの物語だ」。冒頭のナレーションが、時代の空気を伝える。ドラマ「北の国から」の制作で有名な杉田成道監督が「ラストソング」のメガホンをとり、主人公を演じた本木雅弘が照和を訪れたのは94年冬。本木は、マンハッタンの夜景を壁に描いたステージを見て、「ここに立つと鳥肌が立つ」と一言。
『青春のたまり場』が映画化に
めんたいロックも映画化
福岡県大川出身の俳優・陣内孝則 。だが、彼も照和のバンド出身だった。ローリング・ストーンズを夢見てロックバンド「ザ・ロッカーズ」を結成した陣内と、ギターリストの“タニ”が照和で初ステージ。歌う前にトークで爆笑を誘い、結局、何も歌えなかったとの逸話も。

独特のビートを持つ曲は「めんたいロック」と呼ばれ、全国コンテストに進出、上京してプロデビューは果たしたものの、まず事務所でメンバーに「とりあえずこれで生計を」と手渡されたのはアルバイト情報誌。バンドはやがて解散、だが、陣内にはソロ・アーティスト、そして自身が「嘘やろお?」と思った俳優への道が開いた。自身が監督としてメガホンを取る自伝的青春映画「ROCKERS」も封切られる。
めんたいロックも映画化
原点回帰の瞬間
原点回帰の瞬間 「照和」を象徴とするバンドのひとつ、「甲斐バンド」が、2010年4月9日から三日間に渡り、彼らの「原点」ともいうべきステージライブを行った。

デビュー35周年を迎えた彼らの、プロとして初めて挑んだ原点回帰の瞬間であった。この歴史的なライブが収録された映画「照和 My Little Town / KAI BAND」が2010年12月に公開された。この映画には当日のライブ映像や「照和」出身アーティストのインタビュー等が収録されている。

この作品には、今もなお多くの「照和」出身アーティストが「原点」として思いを巡らせている「何か」が詰まっているのではないだろうか。
※文中敬称略
※このページで使われている写真は改装前の昔の照和の写真です
照和と福岡音楽シーンの年表
1970年 ・照和開店
1971年 ・チューリップがレコード「私の小さな人生」を自主制作
・甲斐よしひろが照和に登場
1972年 ・チューリップが上京
・井上陽水「傘がない」10時間コンサート
・海援隊が上京
1973年 ・甲斐よしひろが甲斐バンドを結成
・チューリップの「心の旅」、井上陽水の「夢の中へ」が大ヒット
1974年 ・井上陽水の「氷の世界」、海援隊「母に捧げるバラード」、甲斐バンド「バス通り」が
 大ヒット
1976年 ・海援隊(3人)再編成
1977年 ・長渕剛デビュー
1980年 ・ザ・ロッカーズ デビュー
1994年 ・照和を舞台にした映画「ラストソング」が公開
2002年 ・チューリップが照和で30年振りにライブを開催
・甲斐バンドが照和で「トリビュートライブ」を開催
・照和がリニューアル
2003年 ・映画「ロッカーズ」が公開
2006年 ・長澤知之 デビュー
2010年 ・映画「照和 My Little Town / KAI BAND」が公開



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